天然物から老化細胞除去候補を探る ― インシリコ創薬による分子標的探索
不老不死への探求は、古代エジプトの秘薬探索から中世ヨーロッパの錬金術、さらに現代の再生医療・老化研究へと連綿と続く、人類の長年の夢である。
近年では、「老化細胞(senescent cells)」の蓄積が加齢関連疾患や組織機能低下に関与することが知られるようになり、老化細胞を選択的に除去する「セノリシス(senolysis)」、老化細胞除去「セノリティックス(senolytics)」は、老化研究における重要な研究テーマの一つとなっている。
老化細胞は、DNA損傷などのさまざまなストレスによって増殖を停止した細胞である。正常な生体では免疫機構などによって老化細胞が除去されるが、加齢に伴って十分に除去されず、体内に蓄積することがある。
こうした老化細胞の蓄積が、組織の機能低下やさまざまな加齢関連疾患と関係している可能性が指摘されていることから、老化細胞を標的とした研究が世界的に進められている。
天然物に注目した老化細胞除去研究
老化細胞除去候補を探索する方法の一つとして、植物や食品成分などに由来する天然物化合物が注目されている。
天然物は、古くから医薬品や機能性素材の研究に利用されてきた重要な研究資源である。 植物には、ポリフェノール、フラボノイド、テルペノイド、アルカロイドなど、非常に多様な化学構造を持つ化合物が含まれている。
これらの天然物は、
- 酵素
- 受容体
- 転写因子
- シグナル伝達関連タンパク質
- 細胞内代謝関連タンパク質
など、さまざまな生体分子に作用する可能性がある。
そのため、天然物の中から老化細胞の生存や機能に影響を与える化合物を探索することは、セノリシス研究における興味深いアプローチの一つと考えられる。
実際、近年では植物由来の素材について老化細胞への作用を評価し、老化細胞を減少させる可能性のある素材を探索する研究も報告されている。
例えば、植物由来素材を多数収集してスクリーニングし、老化細胞に対する作用を評価することで、これまで十分に検討されていなかった天然物が候補として見いだされる可能性がある。
しかし、天然物に含まれる成分は非常に多く、その作用機序まで明らかにするには、さらに詳細な解析が必要となる。
そこで重要になるのが、インシリコ創薬技術である。
天然物探索とインシリコ創薬
天然物を対象とした研究では、候補となる化合物の数が膨大になることが大きな課題となる。
例えば、ある植物素材について老化細胞への作用が確認されたとしても、
「その作用を担っているのは、植物に含まれるどの化合物なのか?」
という問題が残る。
さらに、その化合物が、
「どのタンパク質に作用しているのか?」
という分子レベルの作用機序を明らかにする必要がある。
このような問題に対して、インシリコ創薬を組み合わせることで、研究対象となる化合物や分子標的を効率的に絞り込める可能性がある。
天然物を起点とした研究では、例えば次のような流れが考えられる。
天然物・植物素材
↓
含有化合物の同定
↓
候補化合物の選定
↓
分子標的予測
↓
パスウェイ・ネットワーク解析
↓
分子ドッキング
↓
結合様式・相互作用解析
↓
バーチャルスクリーニング
↓
細胞・生化学実験による検証
このように、実験とインシリコ解析を組み合わせることで、天然物の生理活性を単に評価するだけではなく、その作用を担う可能性のある分子機構まで掘り下げて研究することが可能になる。
分子標的を予測する
天然物化合物の作用機序を研究する場合、最初に問題となるのが分子標的の特定である。 既知の標的情報が存在する場合には、データベースや文献情報を利用して候補タンパク質を調べることができる。
一方、十分な既知情報が存在しない天然物については、化学構造などを利用した逆引き型の標的予測(Target Fishing)を行うことで、作用する可能性のあるタンパク質を探索することができる。 候補となるタンパク質が得られれば、そのタンパク質が関与する生物学的パスウェイを解析することもできる。
さらに、複数の候補タンパク質をネットワークとして解析することで、
天然物化合物
→ タンパク質
→ シグナル伝達経路
→ 細胞内応答
→ 老化細胞の生存・除去
という一連の関係を推定することが可能になる。
もちろん、こうした解析によって得られたネットワークは仮説であり、実験的な検証が必要である。
しかし、従来の「この天然物には活性がある」という評価から一歩進んで、「なぜ活性を示す可能性があるのか」を分子レベルで考察するための有力な手段となる。
分子ドッキングによる相互作用解析
候補となる分子標的が得られた場合には、分子ドッキングシミュレーションを利用して、天然物化合物と標的タンパク質との相互作用を解析することができる。
分子ドッキングでは、タンパク質の立体構造と化合物の三次元構造を利用して、
- 結合ポケット
- 水素結合
- 疎水性相互作用
- π-π相互作用
- 静電的相互作用
- アミノ酸残基との相互作用
などを解析する。
これにより、
「この天然物化合物は、候補タンパク質のどの部位に結合する可能性があるのか」
を構造レベルで検討することができる。
さらに、複数の天然物化合物についてドッキング解析を行えば、候補化合物を順位付けし、実験による検証対象を絞り込むことも可能になる。
バーチャルスクリーニングによる新規候補探索
インシリコ創薬の特徴の一つは、既知の化合物を解析するだけではなく、多数の化合物から新しい候補を探索できることである。
例えば、老化細胞の生存やシグナル伝達に関係すると考えられるタンパク質を標的として、天然物データベースや化合物ライブラリーを対象にバーチャルスクリーニングを実施することができる。
その結果、
- 既知の天然物
- 構造類似天然物
- 未評価の天然物
- 新規候補化合物
などを探索できる可能性がある。
また、既知の活性化合物を起点として類似構造を探索することで、より高い結合能が期待される化合物や、新しい化学構造を持つ候補化合物を見つけられる可能性もある。
老化細胞除去研究におけるインシリコ解析の役割
老化細胞除去研究では、単一のタンパク質だけを解析すれば十分とは限らない。
老化細胞の生存や細胞死には、複数のシグナル伝達経路や細胞内機構が関与しているためである。
そのため、
標的予測
↓
パスウェイ解析
↓
ネットワーク解析
↓
分子ドッキング
↓
分子動力学シミュレーション
↓
実験による検証
というように、複数の計算手法を組み合わせることで、より詳細な作用機序の仮説を構築できる可能性がある。
特に分子動力学(MD)シミュレーションを利用すれば、ドッキングによって得られた複合体構造について、時間経過に伴うタンパク質とリガンドの挙動を解析することもできる。
これにより、単純なドッキングスコアだけでは評価できない、複合体の安定性や相互作用の変化について検討できる可能性がある。

インシリコ解析だけで老化細胞除去作用を証明することはできない
ただし、ここで重要なのは、インシリコ解析によって老化細胞除去作用そのものを証明できるわけではないということである。
分子ドッキングによって高い結合スコアが得られたとしても、それだけで実際の生理活性が保証されるわけではない。
実際の細胞内では、
- 細胞膜透過性
- 細胞内濃度
- 代謝安定性
- タンパク質との実際の結合親和性
- 細胞内シグナル伝達
- 組織移行性
- 毒性
- off-target作用
など、さまざまな要因が関係する。
したがって、インシリコ解析は、実験研究を置き換えるものではなく、実験で検証すべき候補を効率的に絞り込み、作用機序について仮説を構築するための研究手段として位置づけることが重要である。
天然物×インシリコ創薬が拓く可能性
天然物には、長い進化の過程で生物が作り出してきた多様な化学構造が存在する。
一方、インシリコ創薬は、膨大な化合物と生体分子の組み合わせをコンピュータ上で効率的に探索するための技術である。
両者を組み合わせることで、
天然物を探索する
だけではなく、
天然物に含まれる候補化合物を特定する
さらに、
その化合物が作用する可能性のあるタンパク質を予測する
そして、
分子ドッキングや分子動力学計算によって相互作用を構造レベルで解析する
という研究へ発展させることができる。
さらに、得られた知見をバーチャルスクリーニングへ展開することで、天然物を起点とした新しい候補化合物の探索につながる可能性もある。
老化細胞除去研究は、今後さらに発展する可能性のある研究領域である。
天然物を起点とした探索と、標的予測、パスウェイ・ネットワーク解析、分子ドッキング、分子動力学シミュレーション、バーチャルスクリーニングなどのインシリコ技術を組み合わせることで、老化細胞除去に関与する新しい分子や作用機序を探索できる可能性がある。
分子機能研究所では、分子ドッキング、バーチャルスクリーニング、分子動力学(MD)シミュレーション、量子化学計算、標的予測、パスウェイ・ネットワーク解析、AI創薬などのインシリコ技術を活用し、天然物を含む低分子化合物やペプチドとタンパク質との相互作用解析や、作用機序の推定を支援しています。
食品成分ライブラリーや天然物化合物ライブラリー、ドラッグライブラリーなどの化合物ライブラリー、ペプチドライブラリーから老化研究、老化細胞除去候補の分子標的探索、作用機序解析、新規候補化合物探索などにご興味がありましたら、分子機能研究所までお気軽にご相談ください。
2026年10月1日
分子機能研究所 辻 一徳
筆者プロフィール
辻 一徳(ツジ モトノリ)
分子機能研究所 代表
博士(薬学)東京大学
大阪大学 招聘教員
横浜国立大学 非常勤教員
東京医科歯科大学・東京科学大学 非常勤講師(~2025年)
インシリコ創薬・構造ベース創薬・リガンドベース創薬・量子化学創薬・AI創薬・計算化学・バーチャルスクリーニング・分子ドッキング受託研究、アドバイザリー、コンサルティングを実施

