味覚受容体を標的とした機能性食品成分および医薬品のインシリコ創薬探索

味覚受容体研究

私たちは日常的に甘味、酸味、塩味、苦味、うま味を感じながら食事をしている。これらの味覚は、舌の味蕾細胞に発現する味覚受容体によって認識される。
その中でも甘味受容体とうま味受容体は、クラスCに属する7回膜貫通Gタンパク質共役型受容体(GPCR)であり、T1Rファミリーに分類される。T1RファミリーにはT1R1、T1R2、T1R3の3種類のサブユニットが存在し、T1R1とT1R3がヘテロダイマーを形成すると「うま味受容体」、T1R2とT1R3がヘテロダイマーを形成すると「甘味受容体」として機能する。
これらの受容体は食品成分の認識だけでなく、摂食行動やエネルギー代謝の制御にも関与していることが知られており、近年では機能性食品や医薬品の標的として注目されている。

ヒト甘味受容体の立体構造

甘味受容体T1R2は2001年に発見されたものの、その詳細な立体構造は長らく不明であった。
2025年、クライオ電子顕微鏡(cryo-EM)を用いて、ヒトT1R2:T1R3ヘテロダイマーの立体構造が世界で初めて解明された。さらに、代表的な人工甘味料であるスクラロースおよびアスパルテームがT1R2サブユニットのリガンド結合ポケットに結合する様子が原子レベルで明らかになった。
この成果により、

・甘味物質の認識機構
・受容体活性化機構
・Gタンパク質との相互作用

についての理解が進展した。
さらに、天然糖と人工甘味料が共通の結合ポケットを利用することも示され、甘味認識機構の理解が大きく前進した。

構造情報を活用したバーチャルスクリーニング

筆者は2025年以前は、ヒト甘味受容体の実験構造が存在しなかったため、他生物由来のT1R2:T1R3ヘテロダイマー構造を鋳型としてホモロジーモデリングを行い、そのモデルを用いてバーチャルスクリーニングを実施してきた。
今回のヒト受容体立体構造の公開によって、ミッシング領域のモデリングはなおも必要であるが、

・より高精度な分子ドッキング
・より信頼性の高いバーチャルスクリーニング
・分子動力学シミュレーション

が可能となり、天然由来甘味調節物質や新規受容体モジュレーター探索の精度向上が期待される。

味覚受容体の発現組織

近年の研究により、甘味受容体は味蕾細胞だけでなく、

・消化管
・膵臓
・脂肪組織
・気道上皮
・脳

など多様な組織に発現することが明らかになっている。
これらの受容体は味覚の認識だけではなく、

・インスリン分泌
・エネルギー代謝
・食欲制御
・神経機能

にも関与する可能性が示唆される。
そのため、味覚受容体は単なる「味を感じるための分子」ではなく、生体恒常性を制御する重要なシグナル分子として再評価されることになると思われる。

アルツハイマー病との関連

興味深いことに、甘味受容体(T1R2:T1R3ヘテロダイマー)は脳内でも発現が報告されており、アルツハイマー病との関連が限定的であるが報告されている。
アルツハイマー病の主要病理因子であるアミロイドβ(Aβ)が甘味受容体と相互作用する可能性が示唆されている。
筆者はT1R2:T1R3ヘテロダイマーとAβとの相互作用について、分子ドッキングシミュレーションおよび長時間MDシミュレーションを行った。
この仮説はまだ十分な検証が必要であるものの、味覚受容体が神経変性疾患に関与する可能性を示唆した。
甘味受容体は食品科学だけでなく神経疾患治療の新たな創薬標的となる可能性がある。

機能性食品から医薬品

味覚受容体研究はこれまで、

・高甘味度甘味料
・甘味増強剤
・糖質代替素材

など食品産業を中心に発展してきた。
しかし現在では、医薬品開発の研究領域へと拡大しつつある。
特に2025年に報告されたヒト甘味受容体の立体構造は、構造ベース創薬(Structure-Based Drug Design)の出発点となる重要な成果である。

まとめ

味覚受容体は、私たちが「甘い」「おいしい」と感じるためだけの分子ではないといえる。
ヒト甘味受容体の立体構造解明によって、食品科学、栄養学、神経科学、創薬研究を横断する新たな研究領域が開かれた。今後は新規モジュレーターの探索が進み、機能性食品から医薬品まで幅広い応用が期待される。

本稿にご興味がありましたら、分子機能研究所までお気軽にご連絡ください。

2026年6月7日

分子機能研究所 辻 一徳